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「愛」ってそもそもなに?

更新日:10月28日

昨今

広告表現やスローガンなど


そこらじゅうで「愛」というワードは耳にする。


まるで愛の大安売りバーゲンセールの様に・・・

でも実際

ほんとに愛について説明されている

文章にはお目にかかれない・・・


そもそも愛とはなに?・・・


家族愛、兄弟愛、親子愛、友愛など

さもいろんな形態の愛が存在するかのように

錯覚する・・・


愛とは・・・

言い換えるなら


「大切にすること」

日本の安土桃山時代


ポルトガルから

宣教師がやって来て

聖書を翻訳する際


当時は愛という言葉が

仏教用語で

愛欲とか性欲を表す俗的表現だったため

「神は愛された」の部分を

「神は大切にされた」

と翻訳した。


しかし・・・


もっと本質的なことを言うと・・・


もしかしたら、こういうことを言うと

誤解する人も居るかもしれないけど・・・


真実なので言うと・・・


愛の本質とは・・・


それはズバリ・・・


愛という状態が起こるとき・・・


そこには必ず神の介在がある・・・


神の介在なくして愛はない・・・


それは


「神は愛・God is Love」

と言われる通り


愛の源流が神であり、

人間単独では、

愛を生み出すことも、

愛の状態を得ることも、

残念ながら不可能だから・・・


なので

まとめると・・・


愛とは、

その瞬間、

神の介在がある状態である。


神とともにいる瞬間瞬間は

それ自体が愛となる・・・


もっと言うと

神の介在が起こるためには


そのような態度で

心持ちで居ないことには・・・


邪な心や利己心からの同期、

ビジネス及びお金のためとか、

そんな意図、動機の状態では

決して神の介在など起こりようが無いので

そう言う場合は

「愛」のように見えても

また

「愛」を説いたとしても

実はもっとも「愛」から離れたところ


と言うことになる。


さて・・・


ここで一般的に問題となってくるのが

神そのものの概念じゃないかと思う


そこで

神についても言及を加えておくと


ここで言う神とは

日本の八百万の神や

祟りを鎮めるために祀った

神社の神や

お寺の仏像・仏様

ギリシャ・オリンポスの神々や

エジプトのオシリスやラー、

北欧ラグナロックの神々のことではない


ここにあげた

人間が作った神々には・・・


なんの力もない

どころか

そもそも存在すらしない・・・


ここで言う神は

人間が作った神・・・ではなく

人間を作った神・・・


人間を含めて宇宙、地球や万物全てを作った


「創造主」

なる唯一神


唯一の「絶対的クリエーター」


要は聖書の神のことを指す


とはいえ俺自身が

どっかの宗教組織とか

どっかの団体に所属しているわけでは無いので

誤解なきように。


むしろ現存する組織は

カソリックでもプロテスタントでも、

仏教にしてもヒンドゥー、イスラムでも

誘われても加わりたい組織は皆無。


全部じゃ無いにしても

ほとんどが自分のことしか考えていない。


要は愛がない。神がいない。


多分ずっと、

一人で音楽を通して

愛を追求し続けると思う。






ree



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